十月十五日からの新聞週間を前に、今年の新聞週間標語が発表された。
選ばれた標語の中には、「確かさ・勇気・見識」に加え 「未来・指針」 などの言葉が随所に見られる。
日和見でなく常に勇気をもって事実を正確に伝えると言うことはもちろん、独自の意見や主義主張を明確にし
将来を展望する先駆者たれ!という熱い応援の声であろう。
新聞に対する読者のイメージや期待感が、そのまま言葉になって表れている。
一方、それらを選んだ新聞協会自身の視点や方向性も反映されているようで大変興味深い。
今年も県下では、野外音楽祭・マリーンスポーツをはじめ多彩なイベントやお祭が休みなく続き
短い夏もカンペキに終わった。最近各地で行われるイベントや祭りは地域の特色を前面に押し出し
他所とは一味違う点をアピールするものが大半で、様々な工夫を凝らしていて大変楽しい。
単なるお祭だけでは物足りなくなったのだろうか。
共通して言えるのは、活力と魅力ある地域づくりや人づくりのための、一つの手段として地域イベントを
位置づけていることである。違いがあるとするならば、そのまちの人が何を考え、誰を相手に何をしたいのか
と言う基本コンセプトが明確かどうかという点であろう。しかし、無理をして作っても「ものまね」はあくまでも
ものまねで、本物となるまでには、気が遠くなるくらい地道な積み重ねが要求されることは覚悟しなけならない。
ただ、楽しそうな人の周りには、必ず楽しい人が集まるはず。あせらず、ゆっくりと、楽しみながら続けて欲しいものだ。
夏のイベントが一段落すると今度は秋に向けてシンポジウムが続々と開催される。
そんな中で、二十一世紀に向けて地域の活性化策を考える県内七十市町村交流シンポジウムが「わがマチの
近未来を探る」と題し九月十二日に開催され、県内から大勢の人達が集まり会場は盛り上がったようだ。
『地域おこしへ県民の英知結集』という見出しで、久万町・生名村・城川町の実践報告と、金沢の出島氏
総領町の安藤氏という持ち味の異なる二人の問題提起の内容も合わせて報道されていた。
文字通り「顔」を持ったまちを代表する「顔」が揃った。
地域活性化策を考えるには、乱暴といえば乱暴なやり方で立地条件・規模・産業基盤が異なれば活性化へ
向けての戦略戦術もおのずから違う。事例報告の中から自分のまちに応用できるコトをどれだけ見出せたか
またどれだけの人とめぐりあうことができたかがキーポイントで、それぞれのまちが現在置かれている位置を
再確認する作業がまず必要となってくる。
交流はあくまでも手段でしかない。
交流を通して、お互いの違いを理解することがスタートで、受信することも必要だが、それと同じくらいの
エネルギーが発信するためには必要になってくる。お互いの理解は受信と発信の両方が備わってこそ
より深いものとなる。
県内市町村職員を網羅した上で、一般からの参加者とともに交流をはかると言う第一段階の目的は充分に
果たせたと言えるだろう。シンポジウム開催が最終目的では決してないはずである。
次には、発信源の「顔」をもった人達に、逆に発信できる「新しい顔」を持ったまちや人の登場が期待される。
そのためには、参加者自身が今回の交流をいかに活用していくか。また、主催者側がどのようなフォローをして
行政の枠を越えたゆるやかな結びつきを提案してゆけるかが「鍵」のような気がする。
『ふれあい・交流という名のつくイベントが、こうあちこちで起こされると、かえって交流やふれあいが
不足しているのではないかと心配になってくる。交流欠乏症を病む患者のようだ(取材最前線)』
交流は与えられるものではなく、自らが自分自身のために求めていくものではないだろうか。
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