| いつの間にやら50回( 2000.10.21 ) 「このワイン会は、何回目くらいになるのですか?」と尋ねられて 「さぁ、どれくらいになるのだろうね。始めて5年くらいだから・・」と 改めて記録を(結構マメに残している)見直してみると、平成7年11月にスタートして 大体月1回のペースを頑固に?守って、今回で50回を数えるまでになっていました。 第1回目の参加者名簿を見てみると、殆どが桜・さくら・またサクラの人達ばかりでした。 以前から内輪でワイン会らしき事はしていたので、全く新たに始めたというのではなく 形式こそ少し変えたものの、その延長が、とりあえずの始まりでした。 == ずっと前のこと == 内輪のワイン会というのは、友達やその家族(子供たちも含め)が集まって 春には桜が咲いたから花見をしようとか夏はカヌーの進水式だとか、また特別イベントが ない時には、わが家の狭い二階に集まって、各自一品持ち寄りパーティといったものでした。 何日も前から手分けして準備をする時もあれば、その日のうちに開催決定という時もあって 全く不定期な会でした。無論それらの企画をリードするのは、全て女性たちで男子供はただ従うだけ。 ビールや日本酒もありましたが、どんな時にもワインだけは必須アイテムでした。 当時子供たちも、まだ小さくて一番上が小学校4〜5年、一番下の子はミルク持参でした。 大人たちがワイン&よもやま話で盛上がった頃、子供たちは既に夢の中・・もよくあるパターン。 今では、その彼等も東京・大阪・京都・なかには上海へと巣立ち、殆どが中・高校生になりました。 そしてミルク持参だった子も、今ではかわいいレディになっています。 そんな自由な集まりの話がドンドン発展して、いつの間にか ○ ヌーヴォの樽を開けよう会 ・・・・・・前売券を販売してパーティ形式で ○ チェロとピアノとワインの夕べ ・・・・上田真二夫妻を招いてミニコンサート などといった企画もありました。 ワインが、今ほど日常的な飲み物にはなっていなかった頃のことかも知れません。 == 準備期間 == 管理人HはJCに没頭し(毎晩遊び呆けていたと他人は言う)仕事も家庭も省みず出放題。 母子家庭状態の管理人Yは、育児・家事・仕事のかたわら『ワイン通信講座』 などをコツコツと受講し 毎月送られてくるテキストと問題集をパートナーとして堅実な道を歩んでいました。 テキストと赤ペン添削され返送されてくる回答用紙は、次第に分厚いファイルとなっていきました。 資格を取得するのが目的というのではなく、お客様に尋ねられた時、ちゃんと応対できるくらいには なっていなければというのが主たる理由で、めったに店にいないHの無責任さの賜物でしょうか。 そんなある日のこと 「ワインアドバイザーっていう資格試験があるんだって、受けてみようかな」 「フゥ〜ん。受けてみたら、何かよく分からんけど」 そんな会話があったかなかったか忘れましたが、いざ目標が定まるとYの目の色が変わりました。 今でこそ、どこの書店にもワイン関連の書籍や雑誌が所狭しと並んでいますが、その頃この近くでは 皆無に等しく、教材になるようなものは通販で取り寄せたり、松山や高松などで捜して買って来るしか ありませんでした。まさに隔世の感がします。 家事や仕事の合間をぬって毎日毎晩の勉強ぶりは、大学受験を控えた娘をして 「私も見習って頑張らなくっちゃ・・・」と言わしめたほどでした。 その甲斐あってか学科試験は一発合格。しかし二次のテイスティングは、あえなく不合格。 翌年の試験まで1年間は、とにかくあらゆるワイン(少し大袈裟)を味わうことが課題となりました。 結局2年がかりで 1993年 日本ソムリエ協会認定"ワインアドバイザー" に。 == ワインアドバイザーには、なったけれど== 資格取得者は県内でも少なかったのか、川之江市報に掲載されたり毎日新聞までが 取材に来て一躍 「時の人」。それを見てか、遠方からわざわざ訪ねて来て下さる方も大勢いました。 しかし、店内を見回すと品揃えは貧弱だし、ワインショップなら当然あるはずのセラーひとつない 普通の田舎の酒屋・・・。拍子抜けというか、がっかりした様子が手に取るように分かりました。 そんな事が何度もあって、ワイン人口の少ない地域と勝手に思い込んでいたのは、自分たちの認識 不足ではとワインの品揃えも含め根本的に見直すことにしました。 余談ですが、ワインの仕入れも、メーカー→酒類問屋 → 一般酒販店 といったルートしかなく 田舎の店では欲しい商品もなかなか入手できないと思い込んでいたのですが、これも大間違い。 この頃を境に、問合せの連絡をしても返事がなかった会社やインポーターからも直接ワインリストが 送られて来るようになり、仕入先や商品の選択肢が広がると同時に様々な情報も次々と入ってくる ようになりました。 ワインアドバイザーがいる店≠ニいう信頼感からなのでしょうが予想外のことでした。 その後1997年には SOPEXA(フランス食品振興会)からフランスワイン・コンセイエ≠ニしても 認定され、より多方面からの情報提供や支援も得られるようになりました。 == できることから始めよう == ところが「これは、おいしいですよ」と、おすすめできるワインが次第に入荷するようにはなったのですが おすすめする相手がいないことに気付いた時(いない訳ではないのですが)愕然としました。 まずはワインを飲んでもらおう。一度もワインなど飲んだことのない人にも味わってもらう機会を・・。 そのためには、堅苦しいことは抜きで楽しんでもらえる『ワイン会』 みたいなのをしてみたい。 レアなワインをウンチク語りながらではなく、気軽に参加して色々なワインを味わってもらえる場作り。 その日顔を合わせた人たちと、ワインを片手に時を楽しんでもらえるような集まりができれば・・・と。 イメージは固まったのですが、会場や案内方法、参加人数のことなどを考え始めると、また思考停止。 そこで苦肉の策として思いついたのが、自由に使える店内でという通常のワイン会イメージ?からは 程遠い乱暴な方法でした。これなら何人でもOK、融通もきくし会費も実費でできる。 でも、本当に人が集まって来てくれるのか、続けていけるのだろうかと一抹の不安もありましたが 毎月一回と決めた以上、2人でも3人でも来てくれた人たちだけで、できることからやってみよう。 実は、そんな一種悲壮な覚悟で始めたのでした。 == これまでのワイン会、そしてこれから== おしゃれなワイン会を想像しながら初めて来られた方は、狭い店内と雑然とした?様子に戸惑い驚き 呆れた表情になります。もう少し、ちゃんとした場所があればと、いつも申し訳なく思います。 でも以前はもっと酷くて、陳列台や借物の折畳み台がテーブル代わり。椅子もちぐはぐな寄せ集め。 グラスもメーカー提供の小ぶりなもの一個づつ、大勢の時は満足に座る席もない状態でした。 今でも余り変わりがないかも知れませんが、我慢強い方たちばかりで本当に助かりました。 これまでのテーマを順に見ていると、参加された人たちのことや、その時その時の様子が目に 浮かんできます。隅から隅までぎっしりで身動きもとれない飲み会状態の時もあれば、 10人足らずでテーブルを囲み、お互いの顔も話も見える、そんな、ゆったりとした時もありました。 私たちにとっては、毎月一回のワイン会が楽しみであると同時に、反省材料でもあります。 ワインの選択はどうだったのだろう、資料は分かりやすかったのか、あの時こうすれば・・・等々。 ただ、このワイン会が他のワイン会と少し違うのでは・・と思うのは、私たち二人だけで何から何まで しなくてもよいことです。つまり、いつも誰かがスタッフになってくれたり、誰かがホストやホステス役 として雰囲気つくりをして会をリードしてくれるのです。 今日まで続けてこられたのも、そんな皆さんのおかげと感謝しています。 つぎは通算100回を目指しましょうか、ね! これからもまた遊びに来てください。一緒に楽しみましょう。 2000.10.21・管理人H そして・・・100回目のワイン会へ (2005.11.19) |